小学4年生の1月、一学期間丸ごと欠席した学校に、僕は勇気を振り絞って3学期の始業式に出た。このまま休...

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【アスペルガー体験談】第3章:得るものは何も無かった林間学校
小学4年生の1月

一学期間丸ごと欠席した学校に、
僕は勇気を振り絞って3学期の始業式に出た。
このまま休み通した状態にきりをつけたかったからだ。

かっての級友たちは1学期の終業式以来、
久しぶりに顔を出した僕を見て幽霊でも見たような反応をした。
ある程度予想はしていたが、やはりそれは心が痛んだ。

僕も本当は自分にもっとふさわしい場所を見つけて
そこで生活したいと願ってやまなかったが、
自他共に健常者と判断されている僕には、
やはり一般の公立学校しかいける学校はなかった。

そして、どうにか学校生活を再開できた僕ではあったけれども、
6時間目まで授業がある日にはほとんどど出てこられず、
やはり休みがちな生活を続けていた。

そして小学5年生になり、林間学校へ

そんな状態で僕は5年生をむかえた。
そこで大きな試練になったのが学校生活初の宿泊行事である林間学校だった。
僕は当日の何ヶ月も前から不安で不安で仕方なく、
どうにかして休みたいと思っていた。

しかし両親は僕の気持ちに反して、
こういう行事だからこそ普段不登校がちな僕には是が非でも参加させ、
今までにない新たな経験を積ませるべきだと考えていたらしい。

当日の朝、出て行くのに渋る僕を強引に車に乗せ、学校まで連れて行った。
車中で父親は言っていた。

「自分にとって嫌なことだからこそ壁にぶち当たっていかないと行けないんだ」と。

苦手意識のあることを避けたがる僕を叱り飛ばすような激しい口調だった。
両親は何にも分かっていなかった。

僕がなぜこういう特殊行事を激しく拒絶するのかを。
僕のような自閉症の持ち主は、
意思疎通やコミュニケーションの取り方に非常に苦しむ。

普通の授業なら基本的に各々の席に座って机に向かっていればいいからまだしも、
こういう宿泊訓練や運動会などでは他者との干渉の度合いが非常に大きくなる。

周囲の者と息を合わせられない僕らは、
常に次の行動、次の行動に躊躇し、
その行事が終了するまで絶えずまごまごしているしかできない。

それと同様の理由で普通授業の中では体育が一番、苦痛だった。
馬跳びなどの際には運動音痴だったこともあるが
何より場の空気に萎縮してしまうせいでちゃんと跳べず、
僕の足が馬になっている子の尻などに当たってしまい、
その子に不本意ながらも痛い思いをさせてしまい罵倒などを受ける原因にもなった。

僕にとって安心もできないような者たちとの共同作業を
否が応でも強要される授業や行事は
一般の人々には想像もできないほど精神的負担が大きいのである。

宿泊訓練などは、
普通の授業の日でさえも一緒にいるのが鬱屈する学校の連中と
普段の3倍以上もの時間をともに過ごし、
一夜を明かさなければならないのだから僕にとってはとんでもなかった。

あの宿泊の日は行きのバスの中から帰りまでの時間を
「あと何時間・・・」と心の中でずっとカウントダウンしていた。

まだ10歳の僕には心細さに耐えられず、
普通ならとっくに学校が終わっているはずの時間である夕方頃になると、
わんわん泣き出したものだった。

それでもその場にいる以上、周りは他の子との共同作業を強要してくる。
僕は無我夢中で仮病を装い、何とかしのいだ。

みんなが僕をこけにしているような連中だらけだ。
ちょっと顔が合えば「1+1は?」とか「小便小僧」などと誹謗の言葉が飛んできた。

そんな人間たちの中で丸一日以上も過ごすのが
どれほど苦痛か両親も含め周りの誰一人として理解していなかった。

宿泊訓練ではろくに食事ものどを通らず、
後からいくら思い返しても「憂鬱だった」としか出る言葉はない。

しかし、この僕とは正反対に、
「一秒でも長くここにいたい」と思うくらい
宿泊訓練が楽しくて楽しくて仕方ない子もたくさんいたのだ。

結局得たものは何も無かった。

僕の両親らは「何でも嫌なことを避けてはいけない」と頭ごなしに叱咤して、
この宿泊訓練も僕をまさに壁にぶち当てるように強引に腕を引っ張って参加させたが、
無理に参加だけさせたところで、
その心境は「鬱屈」の一色に塗りつぶされて
共同作業もことごとく避けざるを得なかった。

はっきり言って、そんな気持ちで強引にぶつかった試練で得たものは
ほとんどなかったと思う。

僕と他の子、どちらがこの行事を有意義に過ごし
己の糧にすることができたかと言えば、
当然、心から楽しんで前向きに何でも取り組めた者たちであろう。

正直、僕のようにこの学校行事一つにしろ、険しい試練のように受け止め、
それに参加していくことを「壁にぶち当たる」という
形容を用いねばならないほど悲壮な気持ちでトライしていくしかないのは
とてももったいないことに思えてならない。

僕にも心から打ち解け合える友達がいて、
周りに誰一人、嫌がらせをする子などいなければ、
他の子たちのように、夢心地のような気分で楽しく過ごすことも出来たかも知れない。
僕も他の子たちと同じ「人」なのだから。

あれは「訓練」と銘打ってあった以上、決して子供たちをただ、
「おもしろおかしく遊ばせる」だけのために考案されたものでもないのであろうが、
それでも、わざわざ「苦しい」ものである必要もなかったはずである。

何事も前向きにプラス思考で挑む方が「実」にもなる。
やはり僕には普通学校の普通学級はふさわし場所ではなかったのだ。

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