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セクシャル・マイノリティ
【LGBT】とあるセクマイの小学校からの体験談-現在は名前を変え、女性として生きています。
セクシャル・マイノリティの私が受けたいじめ

私はセクシャル・マイノリティでもあるので、
性的なこともいじめの対象となったため、
少し問題が複雑です。

私は男の子として育てられたのですが、
物心付いた頃から、
性器の小ささや体つきの女の子っぽさを、
からかいの種にされました。

また、男の子よりも女の子と遊ぶ方が合っていたのですが、
そちらもからかいの対象でした。

転校してからの地獄

小学校低学年の頃はまだ良かったのですが、
現在の自宅の場所に引っ越して転校してからが地獄でした。

座席は交互ですがクラス内の男子は男子、
女子は女子で完全に分かれている感じで、
逃げ場がなくなりました。

いじめも暴力的になり、
「プロレスごっこをしている」という名目で
暴行を受けることもしばしばでした。

また、引っ越してすぐに、
震度4の小規模な地震があったのですが、
地震の時とっさに机の下に隠れ、
地震が収まってから出てくると、

そのことを種に「男らしくない」「弱虫だ」とからかわれ、
先生にまで小言を言われる始末。
また、他の男子より早く性器に毛が生え始めたのと、
胸が膨らみ始めたのも種にされました。

クラス担任の無理解

クラス担任の先生には全く理解されず、
「落ち着きなさい」と言われる始末。
さらにこのクラスの「目標」が、
「先生に頼らず自分で解決する」だったのです。

たちまち学校に行くのが嫌になり、
登校拒否までは行かなかったのですが、
朝は遅刻ギリギリで駆け込み、

放課後は「帰りの会」が終わると同時に
逃げるように学校を離れ、
当時新築だった自宅に逃げ帰りました。

最初は、自宅に逃げ込んだ後すぐにドアと窓に鍵をかけ、
クラスメイトがチャイムを押しても無視していたのですが、

クラス担任から
「いつも遊ばないとはどういうことか?」と問い詰められ、
それもできなくなりました。

クラスメイト達は私の部屋に居座り、
コンピューターゲームを始めるようになりました。
私はコントローラを握らせてもらえず、抗議しても
「遊んでやっているんだ」
という答えだったのを覚えています。

共働きの両親は、、、

私の家は共働きなので、両親とも忙しく、
あまり相手をしてくれなかったのを覚えています。

当時の地元の市の中学校には給食がなく、
弁当か学生食堂か購入するかだったので、
私立中学受験という話が持ち上がったのですが、
それは当時12歳の私には、いじめから逃れるチャンスにも見えました。
この話や、中学校から上の話は別の機会に書きたいと思います。

うまくいかない就職

私は、小学校から高校・専門学校までいじめを受け、
就職もうまくいきませんでした。

いじめを受けていた期間が長いこともあり、
小学校低学年の頃と大学時代を除いて、
学生時代の思い出がほとんどありません。

現在は名前を変え、女性として生きています

現在は名前を変え、社会的には女性として生活していて、
トイレも女性用、女性専用車両やレディースデーも使っていて、
仲間内で女子会に出たりもしています。

人生の半分近くを間違った性別で過ごし、
いじめで失ったというのもあって、
「現在を楽しく生きる」「面白くないことはやらない」
「今から普通の人の2倍幸せに生きる」をモットーにしています。

将来は男性と結婚して、
子供はできなくても幸せな家庭を築きたいと思っているのですが、
男は怖いと心のどこかで思っているのは確かです。

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はじめまして。丸田勝也/ここおる編集長です。このサイトは、私が命を懸けて取り組みたいと考えているものです。いったい私が世界に対してどのように貢献できるのか、最大付加価値はいったいどの分野なのか、まだまだ模索中の段階ではありますが、このサイトは最初の取り組みです。ぜひ今後とも、本サイトの方針、運営に対してなどご意見・ご感想等お待ち申し上げております。@cocooru @katsuyamaruta

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