Home > 未分類 > 病気を学べば、病気は輝く。(海人さんより)
自分の病気について学ぶことから始めよう。
病気を学ぶとは、自分のできることや未来(生活や進路、就職)について知ることである。
私は病気(統合失調症)を克服し、大学を目指した。
障害者の私にとって大学受験は健常者より確実に狭き道だった。
入学試験に加えて、「自分の病気」という試験で合格することが必要だったからだ。
つまり、「自分の病気」を克服する(知る)ことが必要だった。
私は「自分の病気」について必死に学んだ。
例えば、数学が得意科目の人は、数学を好きな科目と言う。
私の好きな科目は、数学と「自分の病気」になった。
大学に合格した私は、得意科目の数学と同じくらい「自分の病気」が輝いて見えた。
大学受験をする私の心の支えとなったのが、企業の障害者枠の存在である。
障害者枠とは、企業が障害者を雇用する制度である。
障害者でも安心して就職できるという事実は、
大学受験のモチベーションを支える重要な要素だった。
最近、障害者の雇用制度に新たに動きがあったようだ。
政府は2018年度から、精神疾患をもつ障害者の雇用を企業に義務付けた。
私は障害者であり公立大学生である、という点で希少性が高い。
希少性が高いほどその価値は高まる、というのが情報の性質である。
つまり、私は価値の高い存在で有りうる。私はそんな自分が好きだ。
たしかに今の私は、自己肯定感に満ちている。
自分の病気にさえ感謝の意を持っているほどである。
しかし、発病当初の私は決して楽観的に自分を見つめることができなかった。
自分を肯定できなかった。自分の病気に対してあまりにも無知だったからだ。
私が病気を患ったのは、受験勉強に励んでいた頃だった。
私を苦しめた症状は、統合失調症の認知機能障害である。
発病当初の私は、認知機能障害の影響が酷く、
大学を目指せるような状態ではなかった。
最悪の状態にあった私は、焦った。
自分にできることは何かを考えた。
結局、今できることは自分の病気を知ることだけだと思った。
病状が安定してきて私は障害者職業能力開発校に進学した。
自分の体力を知るためである。
障害者となって初めての目標が、基本情報技術者の取得であった。
結果として、私は訓練校でただ一人の基本情報技術者の合格者になった。
国家試験である基本情報技術者を半年で取得したことに、
先生方も驚かれていたようだった。
私は自分の体力に自信をもち、大学を志すことにした。
私の病気について学んだことを紹介しよう。
認知機能障害は、認知機能を低下させ続けるものではない。
ただ、疲れなどが引き金となって
一時的に認知機能の低下が稀に現れるということである。
また、低下したとしても休息をとれば健常者レベルまで回復する。
私の場合、回復に要する時間は当初数時間以内であったが今は数十分以内である。
また、服薬を続ければ認知機能障害は現れにくくなる。
現在の私は健常者とほぼ同じ生活ができている。服薬を続けたおかげだ。
結論として、大学に進学できると考えた。
現在、私は大学で情報工学を学んでいる。
私は大学で単位を落としたことがないし、
ある数学の授業では約25%の生徒が不可であったのに対し
私は最高評価AAであった。友達もたくさんできた。
試験前になると決まって一緒に勉強する。友達は私を優等生だと言ってくれる。
私が公立大学を合格できたのは、
数学や英語、理科といった入学試験のほかに、
「自分の病気」という試験で合格したからだ。
自分の障害を知る努力の積み重ねが、目標実現のエネルギーになり奇跡を生み出した。
自分の障害を知る努力が、諦めない自分を育むのである。
病気を学べば、病気は輝く。
私の経験が同病者の希望の光になれたなら、うれしい。
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